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カテゴリ:湖東焼盆栽鉢・植木鉢( 8 )


染付八角鉢・湖東焼

染付八角鉢・湖東焼

湖東焼
(1829-1895) 滋賀県・彦根
江戸時代末期、[桜田門外の変]の井伊直弼などの井伊家(彦根藩)の藩窯、藩窯の前後の民窯も含める。
藩窯時代約20年(1842-1862)、前後の民窯時代約66年ほどで途絶えた.幻窯と言われる。
金襴手, 赤絵金彩, 染付,青磁などの作品が多い。

素地の色合いと鉢形状から無落款ではあるが、湖東焼とおもわれる。

参考文献「湖東焼の研究」

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湖東焼染付八角鉢 左右116mm-奥行91mm-高54mm

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by e-bonsai | 2006-11-17 18:34 | 湖東焼盆栽鉢・植木鉢

湖東焼盆栽鉢赤絵一対鉢(二)

湖東焼赤絵丸鉢

盆器の構図を見てみる。

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龍門(鯉幟)の図

中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが僅かな魚のみが登り切り、竜に成ることができたことに因んで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。鯉の滝登りの構図です。

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朝鮮使の図

徳川幕府は、鎖国令をしき外国文化に接する機会が乏しい状況の中、対馬藩宗氏の懸命なる国交修復の交渉により、「朝鮮通信使」の外交が始まりました。わが国の人々は、「朝鮮通信使」の往来を通じて、海外の文化に接することができました。朝鮮通信使の来訪は、まさに「文明の使者」この時期の貿易の構図です。

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麒麟と鳳凰の図

麒麟は中国の伝説の動物。鳥類の長である鳳凰と並んで、獣類の長とされる。王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物(=瑞獣)であるとされ、麒麟、鳳凰、亀、龍、を四霊とされている。
オスの麒麟を麒(き)、メスの麒麟を麟(りん)と呼ぶ
形は鹿に似て大きく背丈は5mあり、牛の尾と馬の蹄をもち、雄は頭に角をもつとも言われる。背毛は五色に彩られ、毛は黄色い。頭に肉に包まれた角があり、本来は1本角であることから(ただし2本角で描かれる例もある)

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絵とのつなぎ中央に「叢」「穐」「園」と各面ある。写真は「叢」

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鉢底と受皿底の文字。

推測、この鉢も江戸末期に変化朝顔を入れるために、大阪の穐叢園の注文であったろうとおもわれる。作家は特定出来ないが時代を重ねても綺麗な状態で保存されている。希少な盆器である。時代を重ねた盆器は大事にしたいものである。

追記:江戸時代の商人には米や海産物の相場よりも希少な植物の株を高価な価格で売買されていた、中でも、千両様と呼ばれる商人の中に伊藤忠兵衛(いとうちゅうべい])近江出身も名前が出てくる。

現在、井伊直弼コレクションの盆器の詳細を調べています、ある盆器であることは解ったのですがブログへの書込みは詳細を調べてから書込みます。

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by e-bonsai | 2006-08-20 18:10 | 湖東焼盆栽鉢・植木鉢

湖東焼盆栽鉢赤絵一対鉢(一)

湖東焼赤絵一対鉢

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写真の盆器一対は、美術盆器大成Ⅱ・日本 平成2年11月発行 日本盆栽協同組合編の125ページ361の同型である。但し細部の絵の違いが有り、本掲載の盆器ではない。

湖東焼
江戸時代末期(幕末)、彦根藩藩主・井伊直弼(「桜田門外の変」で有名)などの井伊家(彦根藩)の藩窯として琵琶湖の東で焼かれた焼き物。全国より陶芸家を集め藩窯として約20年、民窯として約60年続いた。(特に藩窯の時代は高級品(贈答品)ばかりを手がけたとされる窯である。

写真の盆器にも、絵とのつなぎ中央に「叢」「穐」「園」と文字が読める。

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この盆器が湖東焼なのか、京焼なのかは解らないが、九谷焼では無い。
「この赤の釉薬と詳細な部分からこれは九谷焼ではなく、湖東焼か京焼でしょう。」と九谷古窯展示館の方に教えて頂いた。

湖東焼盆栽鉢赤絵一対鉢(二)へ

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by e-bonsai | 2006-08-18 11:11 | 湖東焼盆栽鉢・植木鉢

湖東焼盆栽鉢か九谷焼盆栽鉢か(四)

赤絵龍鳳凰馬図丸鉢

盆器の構図を見てみる。

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中央に四本爪の龍、その周りに八匹の雨龍ー全九匹の龍。九龍である。
(九龍)の由来は宋の幼皇帝が八つの山を龍の頭となぞらえて自分を足して九龍と名づけたという説、周りの九つの山から龍が降りてきて永遠に発展すると言う風水からきた説…などがある。どの説も明確な理由は推し量れない、九と言う字は中国では「久」と音が通じることから永遠或いは永久を意味し、めでたいものだとされる。また龍も同様に風水では非常に縁起の良い想像上の動物である。
雨龍は雨乞いの龍である、構図として江戸時代の構図では墨形見本の模様なのかな?

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中央に大きな鳳凰周りに八匹の鳳凰ー全九匹の鳳凰。
(鳳凰)の由来は中国の伝説の鳥で、背丈が1m以上あり、その容姿は前は麟、後は鹿、頸は蛇、背は亀、頷は燕、嘴は鶏だとされる。五色絢爛な色なみで、声は五音を発するとされる。孔雀に似ている。竹の実を食物とし、桐の木にしか止まらないという。 九匹描かれているのは風水の縁起を担いだものだろう。

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九頭の馬が描かれていて、金字で名前がそれぞれ描かれている。
(九頭馬)の由来は馬九行久に通じ、丘を登る九頭馬は、「商売・出世・縁談・蓄財・勝負事・健康・夫婦仲・農漁業・受験」の九つの上昇運を象徴すると言われている。絵馬について、日照りには黒馬、長雨には白馬又は赤馬である。

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文字。「叢」

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文字。「穐」

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文字。「園」

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上部。

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底。

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受皿。

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受皿底。

江戸時代に現代にも通じるような受皿付き盆器を好く考え出したものである。先人に学ぶことも多い盆器である。
龍は五本爪では無いが四本爪でも皇帝、水に恵まれるように雨龍。鳳凰は皇后。馬は幸運に恵まれるようにということなのであろうか?縁起物つくし図である。
この当時赤絵、あかだみで一度750度前後で焼成し、そう上に金を重ねて描き800度前後で焼成してあろう。赤絵の釉薬を止めるため素地に線を彫ってある、当時どれくらいの時間を費やしたのだろうか?

湖東焼盆栽鉢赤絵一対鉢(一)へ

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by e-bonsai | 2006-08-16 20:43 | 湖東焼盆栽鉢・植木鉢

湖東焼盆栽鉢か九谷焼盆栽鉢か(三)

赤絵龍鳳凰馬図丸鉢

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前回に盆器の作家の木崎万亀、父木崎卜什、永楽和全(12代永楽善五郎)の事を書きました。今回は商人(商社)について書きます。

この盆器の所有者のもとを辿ると行き着くのが、大家家。

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石川県加賀市大聖寺瀬越の大家家。  大家 七平 慶応元年(1865)~昭和4年(1929)

大家の2代目七三郎は橋立の寺谷源兵衛のかしきを勤めた後船主として独立。大聖寺川下流の竹の浦は、中世の北前船の拠点であったが、二代目大家七三郎は船主として独立し、巨額の利益と広大な屋敷を残した。

4代七平は、店を会社組織し、早くから汽船を導入するなど、積極的に近代経営に転換し、その繁栄は、終戦まで続いた。
大阪に本拠を置き小樽に倉庫(北海道「小樽市博物館」。その博物館に隣接するように並んでいるのは、大家倉庫-住所 小樽 色内2-3-11加賀市瀬越出身の北前船主、大家七平が築いた倉庫。 )

「北前船について
江戸中期~明治中期
自己資本で買い入れた商品を他の地へ運んで売りさばき、その差額を儲ける買積み商船です。簡単に言うと、船会社と商社を一つにしたようなものです。

北海道からの積荷はとくに高値で売れて、一航海千両の儲けと言われました。春から秋までの一航海で千石船一隻の建造費を稼ぎ出していたのですから、その経営形態はまさに「宝の船」でした。」

この盆器を買出したのが加賀市大聖寺 美術商「山O」と聞いた、裏付けは取っては無いが、九谷美術関係者から聴く、買い出した時には6枚あったそうである。今はあちこちに散らばった。

北前船主は黒船来航の時、今のお金で10億円もの資金を藩に提供したそうです。

推測、江戸末期に変わり朝顔を入れる、盆器の受注を大阪で大家 七平が受けた。たぶん大阪で穐叢園の注文であったろう、湖東で木崎卜什または木崎万亀に焼かせた可能性もある。
黒船来航の時の献上品か?、どこかへの贈答品ではなかったか?

どうしても私には落款が「万」「亀」「園」とは読めない。「叢」「穐」「園」には別の意味があるのでは?

湖東焼盆栽鉢か九谷焼盆栽鉢か(四)へ

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by e-bonsai | 2006-08-15 21:01 | 湖東焼盆栽鉢・植木鉢

湖東焼盆栽鉢か九谷焼盆栽鉢か(二)

赤絵龍鳳凰馬図丸鉢

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この盆器は木崎万亀作と解った。湖東焼か九谷焼かの部分を理解するのに3人の作家と商人(商社)が関係すると思われるので、まず3人の作家から書籍の資料からのものを書きます。

盆器作家
木崎万亀(きさきばんき) 天保5年~明治28年(1834~1895)
木崎卜什の長男 山代村生まれ(石川県) 本名清与門、後に清右衛門を襲名、幼い頃より父卜什に陶芸の教えを受けていたが、万延元年(1860)になり大聖寺藩14代藩主前田利鬯(まえだとしか)の命により京の名工永楽和全(12代永楽善五郎)に師事した。文久元年(1861)には法橋に叙せられ、万亀の名を賜り、父と同じく仁和寺宮御室御所の出仕となった。翌文久2年(1862)には、父卜什が自宅内に築いた窯を自宅と共に藩主より賜った山代の春日山に移した。慶応元年(1865)に永楽和全が九谷本窯再興の指導に来藩したとき、弟子の万亀と寝食を共にした。(木崎窯から春日山窯へ)

追記・現在子孫の方は八十代で一人山代に住まいされています。「子供時代には蔵の中には陶器だらけでした」のことでした、その後最後の残された壷は九谷焼美術館に万亀作とされ所蔵されている。

木崎卜什(きざきぼくじゅう) 文化7年~安政元年(1810~1854)
山代村生まれ(石川県) 本名重蔵、のちに木崎家三代清右衛門を襲名、号を卜什
16歳で京都にいぇ狩野派を学び、その後2~3年は有田、唐津で陶画を学ぶ。天保2年、山代に帰郷し自宅庭内に窯を築いて、赤絵細描に金彩を施した手法で製陶した。。これが宮本屋窯の八郎手に影響を与えたと言われる。嘉永元年(1848)には法橋に叙せられ、仁和寺宮御室御所の出仕となった。この頃、彦根藩に招かれ湖東焼の改良に尽力している。湖東焼の「赤水」の裏銘や「法橋卜什」の銘のある赤絵細描の作品が湖東焼としてある。

永楽和全(12代永楽善五郎) 文政6年~明治29年(1823~1896)


湖東焼盆栽鉢か九谷焼盆栽鉢か(三)へ


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by e-bonsai | 2006-08-13 21:08 | 湖東焼盆栽鉢・植木鉢

湖東焼盆栽鉢か九谷焼盆栽鉢か(一)

赤絵龍鳳凰馬図丸鉢

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過去の書籍・「盆栽水石の鉢・水盤・卓」昭和49年1月発行(発行・社団法人日本盆栽協会)p10の16には九谷焼赤絵丸鉢一対 受け皿付となっている。

「日本の小鉢と陶工 盆栽小鉢面白味」昭和51年5月(発行・北村卓三 著者・忍田博三郎)写真41・42金襴手龍絵外縁下方丸湖東 金襴手馬絵外縁下方丸(共代付)湖東となっている。

「日本盆栽水石名品大系」陳列と鑑賞 昭和61年5月 (日本盆栽協会編)p70湖東焼赤絵丸鉢一対 となっている。

実際九谷焼なのか湖東焼なのか。

絵の中で読める文字から調べてみる。

「叢」「穐」「園」と読めるのだが?絵の中の隠し字を探す。 字の書体が「叢」「穐」「園」なのか、決定的なものではない。

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「万」「亀」「園」と読むのではと九谷窯跡美術館の方に教わった、文字よりも作り特に高台の部分の作りと絵の構図と釉薬から、文字もそのように」読むのではとのことでした。

ただもう一つ気になる部分があります。これはお客さんから教わった部分です。
嘉永六年(1853)、大阪で穐叢園によって朝顔の本が刊行されたと言う記事があったのとのこと。江戸の園芸関連の数点の年表を見ていたら
弘化四年(1847)大阪難波で朝顔花合会が開かれ、殿村穐芳園・山内穐叢園の記載があるらしい。 翌、嘉永元年、二年にも両園の名は上がっているとのことです。
江戸の変化朝顔が上方にも同時波及の様子が伺えます。
安政三年(1856)には穐光園の名もあり、朝顔があき、シュウと読まれて秋、穐、醜の文字を使った園が出ていると教えていただいた。

鉢の形状と寸法から朝顔鉢の可能性が高い。

湖東焼盆栽鉢か九谷焼盆栽鉢か(二)続く。

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by e-bonsai | 2006-08-13 00:03 | 湖東焼盆栽鉢・植木鉢

湖東焼交趾写し正方鉢

湖東焼交趾写し正方鉢

湖東焼
(1829-1895) 滋賀県・彦根
江戸時代末期、[桜田門外の変]の井伊直弼などの井伊家(彦根藩)の藩窯、藩窯の前後の民窯も含める。
藩窯時代約20年(1842-1862)、前後の民窯時代約66年ほどで途絶えた.幻窯と言われる。
金襴手, 赤絵金彩, 染付,青磁などの作品が多い。

盆栽界で湖東焼と呼ばれる盆器であるが、京焼、御庭焼(紀州)の中に同じ作の盆器が見受けられる。

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湖東焼交趾写し正方鉢 一辺74mm-高70mm

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by e-bonsai | 2005-12-10 09:50 | 湖東焼盆栽鉢・植木鉢


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