武者絵丸鉢・有田焼(肥蝶山 信甫製)
田代紋左衛門 幼名愛吉 生年不明~1900.
江戸末期の貿易商、「田代屋」田代紋左衛門は安政四年(1857年)に久富與次兵昌保からオランダ貿易権を、万延元年(1860年)には英国貿易の権利を占有、有田焼輸出の権利を占有した(藩公よりの貿易「一枚鑑札」を手にした)。その独占権を利用して長崎・出島に商館を設け、横浜・上海・ニューヨークにまで進出した。また明治6年、ウィーンで開催された万国博覧会の有田焼出品に際しての政府より御用係を申し付けられその責任を果した。そして欧米人の間で絶大な信用を得、巨利を得た。
落款は「肥蝶山 信甫製」(ひちょうざんしんぽせい)注意・蝶は碟という字を書くのが正式。
「肥蝶山」とは肥前の皿山、有田の意味です。
武者絵の肥蝶山 信甫製の落款を持つ盆栽鉢(植木鉢)です。
武者絵丸鉢・肥蝶山 信甫製 口径255mm-高158mm
参考文献{有田古陶磁銘鑑集}
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